阪神・淡路大震災から14年
おはようございます~
今日は1月17日
そう!あの阪神・淡路大震災の日です
1995年1月17日午前5時46分
その時の事は今でも鮮明に覚えています
今日は
震災後に仕事を通じて
お客様に提供する真のサービスとはなにか?
と考えさせられた話を大震災の様子も交えて
お話したいと思います
写真は無しです
悪しからず
皆様
本日5時46分
寝坊しちゃった方はこのブログを見て頂いた後でも結構です
少しでいいですから手を合わせてくださいね
自宅で寝ていた私は
今まで経験した事との無い強い揺れで目を覚ました
地震と気づくまでどれくらいの時間が経ったであろうか
揺れがおさまっても地震という実感は無かった
幸い被害はガラスのコップ1個
箪笥の置く方向が良かったんですね
テレビをつけて初めて強い地震であった事が理解できた
震源は神戸沖
画面では高速道路が傾いている
目を疑った「嘘でしょ!」
会社が気になった
会社にはお客様からお預かりしている機械が山ほど棚に積んであるはず
棚は耐震加工も何もしていない
電車もバスもストップし自転車で会社まで行った
悲惨な状態やった
社内の設備である機械は棚から落下しブラウン管が割れたり変形したり
しかし奇跡的にお客様からお預かりしている機械は
どれ一つ棚から落下も無く傷一つ付いていない状態で無事であった
設備棚と同じ並びで置いていた棚なのに。。。
今でも奇跡としか言いようが無い
本社(神奈川)から内線電話が入り状況を説明する
その日から約1ヶ月間のお客様回りが始まるのである
電話が通じない
お客様の安否を問うわけにも行かない
最低限の機械と工具を持って車で出かける
必ず水と食料を持っていくのである
行った先で水と食料を置いて帰るのである
大阪を朝7時に出て神戸市内に着くのが15時
毎日8時間かけて神戸へ行く
帰りは夜遅くなるので3時間ほどで帰れる
そんな生活が1ヶ月続く
8時間かけて神戸へ行くのであるが
運転が疲れるというよりも
行くまでの西宮、神戸の町の壊滅的な光景に
悲しくなる事の方が大きかった
トイレも無く
公園に臨時トイレの設置
そのトイレに長蛇の列ができている
ここは日本か?
そう疑いたくなる事もしばしば。。
お客様の所へ到着し
機械の状況を調べる
幸いにもそんなに被害は少なかった
身体は疲れのピークを通り越しているが
お客様の
「わざわざ来ていただいてありがとうございました」
「ホンマ助かりましたわ!」
の一言がホンマ有り難かったんです
何処行っても
みんな明るかったですよ~
こっちが元気を与えに行ってたはずやのに
逆に元気を貰って帰って来たぐらいですから^^
このときを境に
私のサービス感は変りました
お客様が喜んでくれる事で
それは自分のモチベーションになっているんだと
気づいたのもこの頃
真のサービスとは?
おそらく一生かかっても答えは出てきませんが
お客様が喜ぶ仕事をしたい!
そう思ったことだけは確かです
以前
ブログでお話したことがあります
仕事には必ずアウトプットがあります
自分の仕事を待っていて
喜んでくれる人が必ず居るんです
どんな仕事でもですよ~
単純な事ですが大切な事を教えてくれたのが
この阪神・淡路大震災やったんです
あれから14年
少しずつ忘れられているのも確か
少しずつ傷跡もなくなっているのも確か
でも忘れてはいけない
あの時の自分の心だけはね
昨年の今日
ブログ友達である震災被災者の
りょーこちゃんの記事を紹介しました
昨日
久しぶりに読み返して涙しました
あらためて
人の命の尊さを叩き込まれました
りょーこちゃんは
昨年4月地元西宮の病院に就職
現在に至っております
日々人間の命の尊さを実感しながら生きているようです
さて
りょーこちゃんの今日の記事は。。。
きっと
今日の記事も感動ですよ~