海外出張(モーガンヒル編)後編

TADARINちゃん♪

2008年10月18日 05:37


 ☆竹富島 東集落☆



 会社が用意してくれた宿舎に到着 

 立派なホテルだ


 ロビーで「チェックイン」と言ったら

 またブツブツ言っている

 こっちの奴はいつもブツブツ言うな~!

 もっとハッキリものを言えんのか!!!

 
 どうやら

 まだチェックイン開始の時間ではないようだ

 
 無事チェックインして部屋へ

 テレビは英語(当たり前やがな~)

 「あ~~~~吉本新喜劇見たいな~」

 また泣きが入った

 「日本に帰りたいよ~」



 朝食を食ってると

 必ず誰かが声をかけてくる

 さすがにアメリカですね~


 「何処から来た?」

 「日本の何処だ?」

 「何しに来た?」


 質問攻めだ

 頼むからそっとしておいてね
 


 セミナー1日目

 韓国の2人組と出会って

 結局最終日までずっと一緒に過ごす事ができた

 日本語も上手

 レンタカーも借りているようなので

 セミナー会場とホテルの行き来も一緒させてもらえた


 セミナーはというと

 全く何を言ってるか分からない

 分かるのは「ランチ」だけ

 言葉が通じないけど腹だけは空く


 ランチはバイキング方式

 思いっきり食ってやった


 現地では日本から派遣された日本人も多い

 入社当時お世話になった方とバッタリ

 2年前からこっちに転勤になったらしい

 ランチは専らマクドらしい

 良く飽きないものです


 さすがにアメリカ

 セミナーもしっかりやってコミュニケーションもしっかりやる

 ディナーだとかバーベキューだとか遊園地に行ったりとか

 各国から集まったサービスマン総勢30人が一緒に行動する機会が多い


 アカンタレの私は専ら韓国人と同じ行動


 情け無いですね~

 「日本に帰ったら英会話習おう!」と誓ったが。。。


 最終日の金曜日

 すべたの日程が終了し30人に挨拶

 お世話になった韓国人はあと1週間滞在しレンタカーであっちこっち旅をするらしい

 
 羨ましかったな~


 「日本に帰ったら絶対英会話習おうっと!」と誓ったが。。。



 今日は今からサンフランシスコ空港近くのホテルで宿泊

 またあの怖い黒人のリムジンに乗らないといけないのか。。


 また死を覚悟し始めたその時

 「イトさんですか?」

 日本語やん!

 白人の優しそうなオニイチャンが

 往路と違って小さい車でお迎えに来てくれた


 不思議と

 6日間もアメリカにいると英語を聞くのは苦にならなくなってきたようだ


 サンフランシスコのホテルに到着後

 その白人が何かゴチャゴチャ言うとる

 「サンキュー」と言ってお金を払って車を降りようとするもゴチャゴチャ言うとる

 
 往路の分のリムジン代も払えと言ってるようだ

 払ったよ!と言って降りて


 ホテルにチェックインし部屋へ


 いきなり部屋のベルが鳴る

 ドアを開けたらさっきのリムジンの白人

 またゴチャゴチャ言うとる

 往路のリムジン代がどうのこうのと言っているようだ

 仕方が無いので

 あの怖い黒人のオッちゃんから貰った領収書を見せた

 「OK!OK!」

 嬉しそうに白人は帰っていった

 こっちは嬉しくないっちゅうねん!!!


 明日の朝は関空行きの飛行機に乗れるぞ~

 やっと帰れるぞ~


 まだ8時やけどもう寝よっと

 寝付くと電話がかかる

 女性の声だが何言ってるか分からん

 3回とも女性の声

 訳分からんので「NO!」と言って3回とも切った


 結局寝付けなくて朝に

 まだ6時やけど

 朝9時の飛行機だが空港行きのシャトルバスに乗って空港へ向かう


 シャトルバスの運転手がゴチャゴチャ言うとる

 ?????


 何処へ行く?と聞いてるのだろうか。。。

 JAPANと言ったら国際線ロビー前で下ろしてくれた


 まだ2時間以上時間はある

 空港内で朝食でもと思ったがまだ店は開いていない


 と!そこへ

 懐かしい言葉が聞こえてきた

 関西弁やないですか~

 サンフランシスコで関西弁?

 
 ふと振り向くと

 大阪のオバチャンが総勢20人ほど

 大きな声で関西弁でしゃべりながら

 空港内を我が物顔でウロウロしている

 
 あの時ほど

 関西弁が「素晴らしい暖かい言葉」と思ったことは無かった

 大阪のオバチャンの心強い事


 オバチャンがラーメン屋に入ると私も

 ラーメン屋に


 免税店に入れば免税店に

 生き返った心地だった


 そして

 無事関西空港へ到着

 奥様がお迎えに来てくれていた

 日本時間では既に日曜日の午後

 明日から仕事やん!


 その日の夜

 1週間日本語をほとんど話す機会がなかった私

 怒涛のような会話が永遠と続くのでありました


 英会話を習うと誓ったあの日

 誓っただけで終わったのでありました