父
☆竹富島 仲筋集落☆
おはようございます
木曜日
かなり暑いですが頑張りましょうね~
今日は私の父のお話
父は昭和13年1月1日生まれの70歳
古稀を迎えました
生まれは山形県西川町
田んぼしかない兼業農家の次男でした
中学卒業後上京しカメラ関係の会社へ就職するも長続きせず
一旦山形へ
しばらくして父の叔父にあたる人が大阪にいるということで大阪へ
それからというもの父は大阪で仕事に専念する
歯車職人
定時制の高校に通うも3年でリタイヤ
定時制は4年通わないと卒業できなかったらしい
今は不明
24歳の時母と結婚
25歳で私が生まれる
鉄工所に勤めだした頃は社員10人以上居た会社も
60歳の定年時には社長入れて3人
父の定年と同時に会社も閉めるということで
父は機械を譲り受けて
個人で歯車を作り続けている
定年後3年ぐらい続けられたらいいと思っていた仕事も
今や10年目
一つ一つ手作業なので
パソコン搭載の機械では作れない複雑な仕事しか来ない
父はそんな仕事が大好きだと言います
誰も出来ない仕事を頼まれると意地でもやってのける父
そんな複雑な仕事なのに
安い料金で引き受けちゃう馬鹿がつくほどお人好し
家から仕事場まで約35キロ
毎朝電車2本乗り継いで自転車で15分
そんな父の趣味は
これと言って無し
強いて言えばなんでも直してしまうところでしょうか
掃除機も扇風機も冷蔵庫も
何でも直してしまうので
うちはいつも中古品ばっかり
新品の電気製品最近買ってない
仕事で使う歯車作る機械ももう70年選手
修理しながら使ってるらしい
そんな物持ちの良い父の噂を誰がしたのか
関西ローカルではあるが
父の仕事場が今年の1月NHKの夕方の番組で放送された
そういう父も
大阪の夏はかなり辛い
毎年「もう今年で終りや」
といっては毎晩美味しそうにビールを飲む
父の腕を継承したかった
この年になってまだ継承できるのか。。。
もう10年早かったら
父も言う「お前には無理や」と
でも何とかならないものか。。。
最近色々考える私でありました